フリーアナウンサーの深井ゆきえです。
仕事にプライベートに忙しく過ごしている中で、何気なく見過ごしてしまっていることや、忘れてしまい「なかったこと」になりがちな些細なこと。“伝える”仕事に携わっているフリーアナウンサーの私が、そんな気付きを言葉にしてすくい取り、考えを巡らせ、日々の中で積み重ねていきます。
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新年最初のコラム。ずっと書きたいと思っていたのに、どうしても筆が進まない。
「あけましておめでとう」
この一言が、どうしても出てこない。
担当している朝の生放送のラジオ番組も、今年最初の放送は、どんな言葉で、いや、どんな心持ちで臨めばいいのか…。ずっとぐるぐると考えてしまい、久しぶりに一睡もできないまま、朝を迎えた。
お正月気分に浸っているさなかに起きた能登半島地震
年末年始は、29日まで仕事をし、30日は大掃除とお正月準備(もちろんできたのはごく一部…)。31日からは義母と義叔母がしばらく我が家に泊まりに来ていた。
普段は個々の仕事や部活、習い事などの予定があるため、家族全員がそろうこと自体かなり珍しい。加えて2人増えると、まぁ賑やかなこと。
常に喋って笑ってテレビ見てゲームして飲んで食べて。元日は義母が買ってきてくれたおせちを囲みお雑煮を食べ、
初詣に行っておみくじを引いて、凧揚げしてバドミントンして芝生に寝転んで…
そんな風にゆるゆると過ごしていたお正月気分が、一瞬にしてどこかへ行ってしまった。
被災した地元をテレビで見て、何かできないかと考える日々
私は富山で生まれ、18歳まで富山の海のまちで育った。
実家は20年ほど前に父方の東京に引っ越していて長年富山には帰れていないが、年々故郷への思いは強くなるばかり。
先日、久しぶりに数時間だけ都内の実家を訪れたとき、母が作ってくれた「富山の親戚から送られてきた」という黒いとろろ昆布(黒こんぶっていいます)のおにぎりを食べた。なぜか涙が出そうになった。懐かしすぎた。
ああ、私にはやっぱり北陸の血が流れてるんだ、私のアイデンティティはここなんだと痛感した矢先の出来事だった。繰り返しテレビに映される漁港は、まさに私の地元だった。
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親類の無事は確認できたが、今は連絡をすることが憚られる友人たちはどうしているだろうか。寒くて水がなくて大変な思いをしているのではないだろうか…
何より、1人でも多くの命が助かってほしい。
生後2カ月の長女を抱え、近所の人たちと身を寄せ合った自身の13年前の記憶も重なり、ずっと胸が痛くて苦しくて仕方がない。何もできない自分の無力さに呆然とする。
何か、何かできないかと堂々巡りだが、義援金以外の手立てが思いつかない。
迷いも葛藤もそのままに、生放送に臨んだ
「パーソナリティーは元気を与える存在だから、常に明るくいてください」
ディレクターから求められる私の役割だ。
「暗いニュースばかりで疲れている人の拠り所になってください」
その通りだと思う。
被害がなかった私たちは「いつも通り」の生活を送ることで経済を回していくことが大事。…わかっている。
でも。こうして心配して、何か、何かできないかと感じているのは私だけじゃないのでは、とも思う。ラジオは、互いに本音を語ることができる場所でもある。
だから、私の迷いも葛藤もそのままに、「いつも通り」を意識して生放送に臨んだ。
何が正解なのかはいまだにわからない。でも一つ言えることは、人は忘れるということ。
みんなが忘れた時こそ、できることがあるということ。
それだけは胸に留めて、1日1日、目の前のこと、人を大切にする年にしたい。
今年もよろしくお願いします。
フリーアナウンサー。Date fm「Morning Brush(7:30~11:00)木・金曜担当。元ミヤギテレビ。おいしいものを食べたい欲が人一倍強く、趣味は季節の手仕事というオーガニックオタク。2人の娘の子育てと仕事、自分時間のバランスが目下の課題。
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